こんにちは!LEONです!
いよいよ夏の甲子園が開幕しましたね✨
去年は現日本ハムファイターズの吉田輝星選手率いる「金足農業」が優勝したわけですが
今年はどこの高校が優勝するのでしょう?また新たなスターが生まれるのかも楽しみですよね!✨
そんな甲子園ですが球児のプレーを見るのも楽しみの一つですが
それ以外にも一つ楽しみがあります!
それが「始球式」!
開幕戦の「始球式」は元中日、巨人で活躍された井端弘和さん
そして決勝戦を担当するのが元ソフトバンクヘッドコーチなどを務めた「達川光男」さん!
今回は達川光男さんにフォーカスして
- 嫁や子供について
- 高校、大学時代の成績やプロでの成績
などをご紹介していきます!
では、さっそくプロフィールから見ていきましょう!
達川光男 プロフィール
名前:達川光男(たつかわ みつお)
生年月日:1955年7月13日
年齢:64歳(2019年8月時点)
身長:177㎝
体重:74㎏
投打:右投右打
ポジション:捕手
プロ入り:1977年(ドラフト4位)
20代の私からすると「指導者」としての達川さんが印象強いですね!
1992年に引退して、1995年から福岡ソフトバンクホークスのコーチを務め
その後、広島カープでは監督を務めるなど
育成、指揮能力に長けていて
2017年~18年のホークスのヘッドコーチを務めた際には
甲斐拓也選手とのマンツーマン指導により
送球精度、動作などが向上し「甲斐キャノン」が誕生!
日ハムの西川選手との対決なんかとても痺れましたよね✨
また、日本シリーズの広島での盗塁阻止なんか鳥肌が立ちました
ちなみに自分はホークスファンです笑
あの活躍があったのも達川さんの指導のおかげだと思うので
コーチを辞めたときは結構ショックでした。。
現在は主に解説などを務めていますが
本人曰く「仕事がない」とぼやいています笑
コーチとして戻ってくればいいのに~笑
高校と大学はどこ?
春夏とも甲子園に出場していた!
広島県広島市出身の達川光男さん
高校は地元広島県にある「広島商業」に進学します
ここで高校1年生の時に捕手にコンバートされました!
監督が達川さんの捕手としての才能を見抜いたんだ!と思ったのですが
どうやら他の1年生捕手が食中毒で練習に出れなくなってしまったために
代わりに肩が強かった達川さんが捕手に入ったみたいです💦
失礼な話ですが、もし食中毒にあっていなかったら
今の達川さんはいなかったかもしれませんね!
高校での成績は
高校3年時に春の選抜に出場!
そこでなんと準決勝で当たったチームが
あの江川卓さん率いる作新学園!
なんとかチーム一丸で勝利を掴みますが
決勝で惜しくも敗退。選抜準優勝
そして春の雪辱を果たすため
夏の甲子園にも出場を果たし見事優勝を飾っています!
ちなみに、この当時はまだバットが木製バットで
翌年から金属バットに変更されたみたいです
そして木製バットで最後のホームランを放ったのが達川光男さんとのこと!
本人曰く高校時代の公式戦でのホームランはこの一本だけだとコメントしていました!
大学初のリーグ優勝!
高校卒業後、広島を離れ上京し東洋大学へと進学します
東洋大学は「東都大学野球リーグ」に属しており
1976年、当時大学3年生の時に秋季リーグで優勝を飾ります!
これが、ただの優勝ではなく東洋大学が東都リーグに加盟してから36年目にして初めての優勝という快挙!
同年の明治神宮大会、いわゆる全国の大学で1番を決める大会で
準決勝まで進みますが早稲田大学に敗退しています
しかし、ベスト4まで勝ち進んでいる時点で相当凄いです!✨
大学時代の成績は
リーグ通算90試合出場
283打数64安打、打率.226、3本塁打、25打点。ベストナイン(捕手)1回
そして翌年、1977年のドラフト会議で
広島東洋カープから4位指名を受け入団します
ここでも一つ面白いエピソードがあって
ドラフトの様子を2巡目まで見ていた達川さん
しかし、自分の舐めが呼ばれないためパチンコに行ってしまったというんです💦
しかも4位指名を受けたときには大当たりの途中で台から動けない状況だったんだとか笑
さすが達川さんというか、学生時代からぶっ飛んでいたんですね笑
現役時代の成績
現役時代の成績と年俸は
- 1977年 (22歳) ドラフト4位 (広島東洋カープ)
- 1978年 (23歳) 率.214 本0 点1
- 1979年 (24歳) 率.222 本0 点3
- 1980年 (25歳) 360万円 率.200 本0 点0
- 1981年 (26歳) 360万円 率.221 本1 点10
- 1982年 (27歳) 580万円 率.210 本3 点13
- 1983年 (28歳) 660万円 率.252 本5 点41(正捕手)
- 1984年 (29歳) 1060万円 率.244 本7 点33(日本一)
- 1985年 (30歳) 2000万円 率.230 本4 点31
- 1986年 (31歳) 1070万円 率.274 本9 点46(リーグ優勝)
- 1987年 (32歳) 3060万円 率.256 本8 点34
- 1988年 (33歳) 3700万円 率.261 本6 点38
- 1989年 (34歳) 4400万円 率.227 本4 点22
- 1990年 (35歳) 4100万円 率.265 本3 点33(リーグ優勝)
- 1991年 (36歳) 4350万円 率.237 本1 点39
- 1992年 (37歳) 6600万円 率.233 本0 点14
*通算成績:895安打 率.246 本51 点358
獲得タイトルは
ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞3回
上の成績と獲得タイトルから分かるように
守備の達人としてチームをけん引していたのが分かります!
打撃に関しては2桁本塁打を達成したことがなかったというのには驚きましたね!
また、大学ではリーグ優勝ですが
高校時代からプロ野球まですべて優勝を経験しているところもスゴイところだと思います!✨
プレースタイルは?
打撃に関してはあまり言うことはないのですが
守備に関しては「ささやき戦術」と呼ばれる
野村克也さんなどが得意として戦術を使っていたそうです!
例を一つ出すと
元中日の捕手として活躍していた谷繁元信さんがルーキーの頃に
「よう頑張っとるから、特別に次の球種を教えちゃる」と球種を教えますが
投げられたのは全く違うストレート!
これに対して谷繁さんが文句を言うと
「すまんすまん、アイツはワシのサインを理解しておらんかった」と答え
その直後に「ナイスストレート!」と言いながらピッチャーにボールを返球したというエピソードが💦
ずる賢いというか、相手を揺さぶることに長けた選手で
相手監督、コーチからは「達川は無視だ!挨拶もするな!」といった指示まで出ていたそうです!
デッドボール伝説とは?
達川光男さんといえば「デッドボール」で有名です!
実際にはデッドボールを受けていないのに
執拗にアピールして何とか塁に出ようとすることで
「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」にも頻繁に取り上げられていましたよね!笑
厳しいインコースの球には
「ユニフォームにかすった!」と言ってアピールしたり
投球が手付近をかすめた時には、瞬時にひっかき傷を作りアピール
これが何度か成功したというからすごいですよね!
あまりに当たってもいないのにアピールするために
「グランドの詐欺師」などとも称されているほど!
しかし、見方を変えれば
それほどチームに貢献しようという想いが強いということなので
もしかしたら、このプレースタイルが後のコーチ、監督として大きな評価を得た理由の一つなのかもしれません!
まとめ
以上が達川光男さんについてでした!
今回は高校と大学、そして現役時代の達川さんを振り返ってきました!
現役時代の印象は珍プレー集でのデッドボール事件ですが
選手として高校~プロまで優勝を経験しているのは凄いですよね!
守備としても凄いのかもしれませんが
グランド外での闘争能力だったりもかなり高かった人なのかな~と思いました!
最後まで読んでいただきありがとうございます
では、また別の記事で!